安徳帝内裏跡伝説地
神戸の平清盛ゆかりの地めぐりで安徳帝内裏跡伝説地のある須磨へ行きました。
山陽電鉄に乗り須磨浦公園駅で降ります。
駅を降りると目の前は須磨浦公園です。
その須磨浦公園の東端の細い急な坂道を上がっていきます。
坂道の途中、眼下の須磨の海は美しかったです。
少し東の方に目をやると須磨の海水浴場が見えたりします。
そして、坂道の先には住宅街、一の谷公園があり、一の谷公園に安徳宮、安徳帝内裏跡伝説地の石碑があります。
一の谷に一時、内裏をおかれたとの言い伝えがあり、安徳天皇の冥福を祈って祀られているのが安徳宮です。
また、安徳宮の前にはモルガン石灯篭が立っています。
モルガン石灯篭は、モルガン ユキと呼ばれる本名・加藤ユキが贈ったものです。
それと、一の谷公園には皇女和宮様の像もあったりします。
一の谷公園は小さな公園ですが、安徳宮、安徳帝内裏跡伝説地の石碑、皇女和宮様の像、手入れのいきとどいた花壇とみどころはいっぱいでした。
■安徳天皇
母は平清盛の娘の徳子。
数え年3歳(満1歳4ヶ月)で即位しましたが、壇ノ浦の戦いで歴代最年少の数え年8歳(満6歳4ヶ月)で崩御しました。
■モルガン ユキ
14歳で芸妓となったが、アメリカの大富豪のジョージ・モルガンと出会い1904年に横浜で結婚、そしてアメリカに渡りました。
その後パリに渡り、現地の社交界でたいへんな話題をよびました。
1951年に帝劇でモルガンお雪として上演されました。
■一の谷公園
神戸市須磨区2
■安徳帝内裏跡伝説地 地図
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コメント
和宮像は、何故、置かれていたのでしょう⁉ facebook[世良康雄(コウユウ)] twitter [Casshern ] mixi RAMBO日記
2019年7月9日(火) 15:01| 世良 康雄
和宮像が何故、ここに置かれてたのか?
残念ながら、わかりません。
安徳帝内裏跡伝説地へは神戸の平清盛ゆかりの地めぐりで行きました。
ちょっと不便な地でしたね~
コメント機能を止めていたため、返事が遅れてしまいました。
すいません。
コメント機能を復活させることにしました。
2022年1月12日(水) 03:28| みんなの神戸 管理人