地図 − 平清盛ゆかりの地・長田区

平清盛ゆかりの地・長田区


平清盛
長田区の平清盛ゆかりの地をリスト(平清盛ゆかりの地・長田区)し、Googleマップにしました。

平清盛ゆかりの史跡は下記情報より取得しました。
1.神戸市役所のホームページより。
2.「みんなの神戸」の管理人が偶然に出会ったもの。

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谷御所橋

神戸市長田区長田町3-1 長田神社の前
谷御所橋

平清盛がこの地にいた谷家の娘を見初めて妾にしたとき、この橋を渡ったことから谷御所橋と名前をつけられました。

谷御所橋
谷御所橋

平盛俊の墓

神戸市長田区庄山町3

猪俣小平六と組み合い討たれました。

平盛俊塚

神戸市長田区名倉町2

庄山町の「平盛俊の墓」と名倉町の「平盛俊塚」。どちらが「盛俊最後の地」か意見がわかれているそうです。

平知章の墓

〒653-0884
神戸市長田区明泉寺2-4-3 明泉寺境内
Tel:078-691-8338


wikipediaには、「寿永3年(1184年)一ノ谷の戦いで、平盛俊が義経の来襲に備えてここに陣を布き、寺は焼失し、盛俊は討死。生田の森を守っていた平知章もこの地で戦死している・・・」とあります。

源平勇士の碑

神戸市長田区五番町8

wikipediaには、「一の谷の合戦の時、生田の森の大手を守っていた父の平知盛を助けようとして明泉寺の近くで戦死した知章の碑を、もともとは明泉寺のほとりに塚印があったものを、孝子の墓は世の手本になるように人目につくところにということで、享保年間に西国街道筋にも建てたもので す。また、この付近で戦死したという平通盛や、源氏方の猪俣小平六、木村源三則綱、平通盛と戦って相討ちで死んだと言われている木村源吾重章の碑が敵味方仲良く建てられています。」とあります。
村野工業高校の裏の新湊川の土手に源平勇士の碑はあります。

平知章の碑
平知章の碑
平通盛の碑
平通盛の碑
猪俣小平六の碑と木村源吾重章の碑
猪俣小平六の碑と木村源吾重章の碑

堅物太郎の碑

神戸市長田区四番町8

監物太郎は、平知盛の家臣です。1184(寿永3)年に知盛の嫡男知章を救おうとして討ち死しました。
堅物太郎の碑は、地下鉄の長田駅をおりてすぐのところにあります。

堅物太郎の碑
堅物太郎の碑

平忠度胴塚

〒653-0051
神戸市長田区野田町8-5-1

平忠度は、平忠盛の六男。平清盛の異母弟。文武ともに優れた大将軍でした。
一ノ谷の戦いで、源氏方の岡部忠澄と戦い41歳で討死しました。
平忠度腕塚、平忠度胴塚に参れば、腕・腰の痛みが治るという信仰があったとも言われていました。
地下鉄湾岸線の駒ケ林駅から徒歩10分ぐらいのところにあります。

平忠度胴塚
平忠度胴塚
平忠度胴塚 石碑
平忠度胴塚 石碑

平忠度腕塚

〒653-0043
神戸市長田区駒ケ林町4-5

明石市にも忠度塚と腕塚神社があり、どちらが本当なのか決め手はないらしいです。
地下鉄湾岸線の駒ケ林駅から徒歩10分ぐらいのところにあります。

平忠度の腕塚堂
平忠度の腕塚堂
平忠度腕塚
平忠度腕塚

駒林神社

〒653-0043
神戸市長田区駒ヶ林町3-7-3
Tel:78-611-4065


wikipediaには、「治承2年(1178年)- この神社が務古の水門の一部にあたっていた。この年に平清盛が厳島神社参詣の途中に上陸したと『山槐記』にある。」とあります。

満福寺

〒653-0052
神戸市長田区海運町4-1-1
Tel:078-731-3174


平清盛が創建したと伝えられています。

<<注意>>

  1. 「みんなの神戸」の管理人が訪れた平清盛ゆかりの史跡は管理人のページで記事にし、当ページからもリンクしています。 をクリックすると該当記事が開きます。
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