須磨寺
神戸の平清盛ゆかりの地めぐりで須磨寺へ行きました。
須磨寺の敷地は大きく、見所がいっぱいでした。
まるで、京都の大寺のような敷地の広さでした。
私が須磨寺へ行ったのは土曜日の昼すぎでしたが、境内は参拝客でいっぱいでした。
須磨寺は山陽電鉄・須磨寺駅を降りて、須磨寺前商店街を北へ抜けて10分ぐらい歩いていった所にありました。
また、須磨寺駅を降りたすぐのところには「平重衡とらわれの松跡」があります。
須磨寺は弘法大師、近くにある綱敷天満宮は菅原道真を祀っています。
それぞれ、学問、智慧に縁の深い人物のために、須磨寺前商店街を「智慧の道」とも呼んでいます。
須磨寺には平清盛ゆかりの史跡がいっぱいありました。
また、「源平の庭」と呼ばれる平敦盛と熊谷直実の一騎討ちの場面を再現した庭もあります。
「源平の庭」の前には蕪村句碑などがあり、「笛の音に 波もよりくる 須磨の秋」と刻まれています。
須磨寺のホームページによれば、毎年、旧暦の2月7日に一の谷合戦源平戦士の追悼法要が行われるそうです。
<< 須磨寺の平清盛ゆかりの史跡、及び、源平史跡 >>
■敦盛公墓所(首塚)
一の谷の合戦で戦死した平敦盛の菩堤を弔う為に建立されたもの。
■敦盛公首洗いの池
平敦盛公の首を洗い清めたとされる池。
■義経腰掛けの松
一の谷の合戦後に源義経公はこの松に座って平敦盛公の首と笛を実検したと言われています。
■弁慶の鐘
弁慶が一の谷の合戦の時に山田庄安養寺からこの鐘を長刀の先に掛けて担いで来て陣鐘の代用にしたといわれています。(旧鐘は宝物館に納められています)
■若木の桜
光源氏が手植したものといわています。
弁慶はこれに制札を立て、「一枝を伐らば、一指を剪るべし」詠みました。(制札は宝物館に納められています)
<< 平敦盛について >>
平清盛の弟である平経盛の末子です。
平敦盛は平家一門として17歳で一の谷の合戦に参加し、敵将の熊谷直実に首をとられましたが、その美しい顔と見事な戦い方で名を上げました。
その戦いは平家物語の名場面として幸若舞(注1)、文楽、歌舞伎などの題材にもなっています。
wikipediaの「平敦盛」によると、織田信長の好んだ歌「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け滅せぬもののあるべきか」は幸若舞の「敦盛」の一節と言います。
墓所は高野山奥の院です。
当寺に首塚、須磨浦公園に胴塚があります。
注1)幸若舞とは室町時代に流行した語りを伴う曲舞の一種です。能や歌舞伎の原型と言われています。
■須磨寺
〒654-0071
神戸市須磨区須磨寺町4-7-8
Tel:078-731-0416
山号:上野山
宗派:真言宗須磨寺派
寺格:大本山
本尊:聖観音
創建年:仁和2年(886年)
開基:聞鏡、光孝天皇(勅願)
正式名:上野山 福祥寺
備考:神戸七福神の一つ。福禄寿尊。
南北朝時代制作といわれる木造十一面観音立像、絹本著色普賢十羅刹女像、本堂内宮殿(くうでん)及仏壇は国指定の重要文化財。
■須磨寺 地図
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