会下山公園 「楠木正成」と「牧野富太郎」と「桜」
会下山公園と会下山小公園へ行ってきました。
会下山公園行きの目的は大楠公湊川陣之遺跡の碑を見ること、そして、会下山小公園にある牧野植物研究所跡の碑を見る事です。
湊川の戦で足利尊氏と戦った楠木正成がここ会下山に陣をはりました。
そして、それを記念して大楠公湊川陣之遺跡の碑が昭和5年に建てられました。
書は日露戦争における日本海海戦で有名な東郷平八郎によるもの。
また、会下山公園には海員萬霊塔と言うのもあります。
こちらも、東郷平八郎の書です。
■会下山公園、会下山小公園
神戸市兵庫区会下山町3
広くて緑が豊かな会下山公園です。
その隣にある小さな公園が会下山小公園です。
ここには、かつて日本の植物学の父と言われる牧野富太郎の研究所がありました。
その研究所の跡地が会下山小公園となっています。
会下山小公園には「会下山地区シンボル木」と言うのがあります。
なかなか立派な木なので写真に収めました。
また、眼下に見える善光寺は美しいです。
善光寺には平清盛ゆかりの史跡である「平業盛塚」があります。
現在、会下山小公園の南側に牧野富太郎の研究所を記念した碑があります。
牧野富太郎は日本の植物学の父と言われています。
神戸の池長孟が援助し、ここ会下山に研究所が作られました。
牧野植物研究所跡には、立派な鉄筋で作られてような小さな建物が立っています。
その小さな建物には池長植物研究所(牧野植物研究所)についての説明板があります。
また、建物の前には本の形をした「牧野植物研究所跡の碑」があり、その横には会下山館の門柱が残されています。
本の形をした「牧野植物研究所跡の碑」には次のように書かれています。
世界的な植物学者 牧野富太郎博士の研究所が大正七年から昭和十六年までこの地にあった。
植物研究所は南美術収集家として著名な池長孟が牧野富太郎のために提供したものです。
日本の植物分類学の先駆者である牧野富太郎は「ヤマトグサ」を初め数々の新種を発見し、独学で研究の結果六十六才で理学博士、九十才で文化功労者となり、昭和三十二年九十六才で没した。
以下写真を貼ります。写真をクリックすると綺麗な大きな画像でみることができます。説明板の文字も直接読むことができます。
追記 2015.4.8)
神戸の桜の名所めぐりをしようと会下山公園に行きました。
市営地下鉄・湊川公園駅、または神戸電鉄・湊川駅を降り北西へ10分ほど歩いて行ったところに会下山公園はあります。
会下山公園に行くのは、これで4、5回目になります。
会下山公園も神戸の桜の名所の一つとして知られています。
しかし、私が行った4月8日は少し桜も散り始めていました。
満開とは言えませんでしたが、まだまだ会下山公園の桜は美しかったです。
追記 2016.4.7)
昨日の4月6日、会下山公園に桜を見に行きました。
昨年も会下山公園に桜を見に行ったのですが、行くのが遅かった為に余り良い桜の写真が撮れませんでした。
今年こそはと昨年に続いての会下山公園行きでした。
で、今年は満開の桜を見ることができました。
会下山公園のすぐ南側にはフルコンタクト空手の極真会館神戸総本部がありました。
支部長は、あの世界大会2連覇の中村誠ですね。
で、実は私、アニメの「空手バカ一代」世代です。
一時期、尊敬する人は大山倍達でしたわ!
田舎に住んでいるとき、通信教育でマス大山空手スクールにも入りました・・・
(^▽^;)
結局、甘い物も好きだが、人間も甘い私は、通信教育の教材を買っただけで、現在に至っています。
∑(; ̄□ ̄A アセアセ
■会下山公園 地図
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