生田神社 Ⅱ(生田の森)
神戸一の繁華街とも言える三宮のど真ん中にある生田神社です。
歴史もたいへん古く神功皇后以来の歴史を有すると言います。
wikipediaによれば神功皇后は、「神功皇后(じんぐうこうごう、成務40年(170年) – 神功69年4月17日(269年6月3日))は、仲哀天皇の皇后。」「応神天皇の母であり、この事から聖母(しょうも)とも呼ばれる。」「三韓征伐を指揮した。」などとあります。
そんな生田神社ですから、見どころはたくさんあります。
ただ、私は森が好き。そして、巨木が好きなことから「生田の森」が一番好きですね。
神戸のど真ん中で、生田の森に入っていくと幻想的な気持ちになります、
樹齢が何百年もなる巨木もが何本かあります。
この生田の森ですが、古くは北の六甲山につらなり、南北短く東西に長く、旧生田川(現在のフラワーロード)に及ぶ広大な森林だったと言います。
ここで昔、源平合戦や新田氏と足利氏の戦いがあったんですよね。
戦国時代には織田信長と花隈城主の荒木村重軍との戦いの場になったとも言います。
生田の森の巨木と、生田の森の前にある「戸隠神社」と「蛭子神社」などの写真も撮ってきましたので御覧ください。
追記 2015.5.17)
神戸祭りのあった5月17日、生田の森に再訪問しました。
なんか巨木を見ると落ち着く「みんなの神戸」管理人です。
それと、生田の森の巨木の本数や幹周を確認したかったために再訪しました。
巨木の本数と幹周です。(あくまで推測値)
- 幹周5m余りの巨木が2本
- 幹周4m弱の巨木が2本
- 枯れた幹周5m余りの巨木が1本
上記写真の「巨木1」と「巨木2」が幹周が5m余りありそうです。
どちらも、再度、写真を撮ってきました。
観光客の方が巨木と写っていますので大きさがなんとなくわかるかと思います。
追記 2016.1.3)
初詣で生田神社へ行きました。
で、やっぱ生田神社へ行くと生田の森に足を運ばずにはいられません。
上記1の巨木の写真を2枚追加します。
見る場所によって大きさが全然違います。
追記 2017.5.13)
またまた、生田の森を訪れました。
σ(^_^;)アセアセ…
生田神社の境内に入ってすぐ右側に「源平合戦の古戦場 史跡 生田の森」と書かれた大きな説明板があります。
次の様に書かれています。
史跡 生田の森
世に有名な「源平合戦」の折、西は須磨の一ノ谷から東はこの生田の森にかけての一帯が戦場となりました。
平家はこの生田の森を大手の木戸口とし、知盛大将軍・重衛副将軍が陣取り防備を固めていましたところ、ここへ源範頼の軍勢が攻め入りました。
この時源氏の若武者・梶原源太景季が境内に咲き誇った梅の一枝を箙(えびら)に挿して戦った事は武士の風流として語り継がれ、現在も「箙の梅」として老梅が境内に植わっています。
この他にも生田神社の境内には、源平合戦に因んだ史跡が多数残されています。
古くより文人墨客に愛され多くの歌に詠まれてきたこの森も、現在では都会の真中のオアシスとして、また、パワースポットとして親しまれています。
また、春には「生田の森」にて開催される「曲水の宴」は平安の歌遊びを再現した雅な行事としてお楽しみ頂いております。
■生田神社 地図
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